第10号「太宰府の梅上げ行事」


育成団体:太宰府梅ばやし隊

 「梅上げ」は、毎年3月に、初老(40歳)の男性、還暦(60歳)の男女によってそれぞれ行われている太宰府天満宮に梅の木を献じる行事です。
 賑やかなお囃子で行事を盛り立て、昔の写真などの資料集めや広報活動を通じて、梅上げの物語を伝えていきます。

梅上げとは
 梅上げとは、初老(しょろう)を迎える男性(40歳)、還暦(かんれき)を迎える男女(60歳)が、それぞれ厄払いとして太宰府天満宮に梅の木を奉納する行事で、献梅行事ともいいます。
 梅上げ行事は近年、3月の第1土曜日に還暦が、3月の第3日曜日に初老が行うことが多いのですが、その時々で実施日やコース、進め方を決めるため、世代によって全く異なることがあります。
 平成27年に行われた還暦の梅上げの場合、午前中に太宰府天満宮でお祓いを受け、昼から中央公民館で出発式を行い、午後1時頃に出発しました。行列は、三味線・鉦・太鼓のお囃子隊、厄年の人々と続きますが、途中の五条公民館からは、梅の木を曳いた牛が合流しました。人々は両手に持つ杓子を打ち、紅白の餅を沿道の人々に配りながら練り歩き、沿道の家々や参道の店舗の人たちは、酒やつまみなどで還暦の方を接待し、祝います。厄年の人々は餅を沿道の人たちに配ることで厄落としとなると言われています。そして、太宰府天満宮に到着した一行は、牛が曳いてきた梅を境内に植樹します。なお、翌年春には竈門神社(かまどじんじゃ)に献木する「紅葉上げ」を行います。

梅上げ(献梅行事)の由来
 この「梅上げ」がいつ始まったのか明確な時期はわかっていません。しかし、その始まるきっかけは、今から100年以上前、明治35年(1902)に行われた太宰府天満宮菅原道真公御神忌一千年大祭に遡ると言われています。
 一つには、菅公一千年大祭の4月1日に、博多の高砂連(たかさごれん)600余人が太宰府の街中を練り歩いて天満宮に参拝したということです。4月13日には、福岡博多の福博都保美会が博多どんたく松囃子の傘鉾を先頭に、資産家の10歳から20歳未満の娘たち114人で列を整えて、五条口から五条、新町、大町、参道を練り歩いて天満宮に参拝しました。これらは太宰府の人たちの心に残り強く印象づけられたようです。
 二つ目に、この時に梅いっぱい運動が行われたことです。一千年祭事業として、東神苑と北神苑を整備され、境内では梅を植樹する事業が行われました。
 このような流れの中で、太宰府六町の人たちが、初老・還暦の祝い行事を、六町はもちろん、太宰府小学校同窓生と一緒に行い、天満宮に梅の木を奉納する「梅上げ(献梅行事)」を始めたのではないかと考えられます。
 その行事形態も、かつて一千年大祭の高砂連や福博都保美会が行ったような三味線や太鼓を打ちならしながら、町中を練り歩く姿から、さらに厄払いの紅白の餅を配りながら、梅の木を天満宮に奉納するという現在のような姿に次第に整えられていったと考えられます。

梅上げの運営
 梅上げ行事は、初老や還暦を迎える方々自らが発起人となり、実行委員会等を組織し実施・運営しています。参加記念品や記念手ぬぐいに趣向を凝らしたり、梅上げの行事の記念写真を卒業アルバムのようにしたりと、その年々で工夫があり、献梅以外の部分は独自のやり方となっています。よって、行列の出発場所もコースも様々です。
 当初、太宰府小学校の同窓生や太宰府在住、市内勤務の同年の方を中心に行なわれていた梅上げは、今では、近郊の人々にも幅広く参加が呼びかけられています。梅上げに参加するのを楽しみに、東京や大阪など遠方から、帰省する人も少なくありません。