第11号「高雄の自然と歴史」


育成団体:高尾山の自然と歴史を語り継ごう会

市の南東部に位置する高雄地区には、市街化された中にも豊かな自然と文化遺産が残っています。
高雄地区のそうした地域の文化遺産を調べ、見守りながら、展示やウォークなどの広報活動を通して、高雄地区の物語を伝えていきます。

高雄の位置と自然
 高雄地区は太宰府市の南東に位置し、標高151mの高尾山(たかおやま)に連なる丘陵地帯で、中央部には高尾山を源流とする高尾川が流れる自然豊かなところです。片谷温水溜池、今王池、吉ヶ浦池等の農業用溜池が点在し、田畑を潤しています。
 現在、高雄地区は開発が進み市街地となりつつありますが、四王寺山から望むと、高尾山一帯は木立が茂り、豊かな自然が残されていることがよくわかります。さらに、山中にはテン・タヌキ・野ウサギ・アナグマなどの小動物が生息しています。さらに四季折々に、メジロ・カモ・ウソ・カワセミ・ヒヨ・モズなど様々な鳥類を見ることもできます。
 また、高尾山を源流とする高尾川では、上流にはホタル、中流にはハヤ・コイ・フナなどの姿を見ることができます。

高雄の田んぼから望む宝満山

高雄の歴史

吉ヶ浦遺跡の竪穴住居跡

 高雄地区には、弥生時代の竪穴住居跡や甕棺墓群が発見された吉ヶ浦遺跡(よしがうらいせき)や、菖蒲浦古墳群(しょうぶがうらこふんぐん)、下高尾古墳(しもたかおこふん)、今王古墳(いまおうこふん)などの古墳が点在していました。江戸時代には銅鉾(どうたく)11点が出土した記録もあり、弥生時代から人々が高雄地区に生活していたことがうかがえます。その中でも昭和51年(1976)の太宰府南小学校建設に伴って行われた菖蒲浦古墳の調査では、割竹形木棺から方格規矩鏡や鉄剣などの貴重な副葬品が出土しています。

 戦国時代になると、高尾山に高尾山城が築造され、今も段造成や堀切等の遺構が残されています。江戸時代には、日田方面から太宰府天満宮への参詣道が丘陵上を通り、多くの人々が往き来しています。江戸末期の紀行文『安楽寺参詣日記』には「さばかり高からぬ山なれど遠近が見渡されて心ゆく所なり」と記されています。

筑紫四国第十二番札所

 また、高尾山山頂には大行事塔があり、毎年9月の太宰府天満宮神幸式大祭の前に神事が行われます。他にも高雄地区には石像・石仏をはじめとする文化遺産が数多く存在しています。高雄公民館近くには、大行事塔・猿田彦大神があり、屋敷神として大師・薬師如来などの石仏が祀られている家もあります。また、太宰府高校近くには菅原道真の随身者のお墓と伝えられる祠もあります。
 その他にも、地蔵公園に祀られる大師・不動明王・地蔵や高雄公園そばの地蔵や一字一石塔は、それぞれ筑紫四国の十二番札所、二十九番札所として地域における信仰の対象となっています。

 高雄に暮らす人々の生活にとって高尾山や高尾川は欠かすことのできないものでした。大正時代から昭和中期まで一帯の丘陵地は採草地として利用され、高雄方面から太宰府小学校に通う小学生からは「ミソッチョ山」と呼ばれ、学校帰りに木の実(ミソッチョ)を採って食べたりと格好の遊び場でもありました。また、周辺の溜池も、夏は水泳、秋の農閑期は池を干して魚を捕まえ、冬場の食料にするなど住民の暮らしに密接していました。
 現在丘陵地は住宅街となってしまいましたが、今でも各所に文化遺産や自然が残っています。

※高尾山については、美化センターや個人地があり、自由な立入が禁止されています。会では許可を得て山に入る活動を行っています。