第8号「太宰府の絵師 萱島家(かやしまけ)」


育成団体:絵師 萱島家保存会(えし かやしまけほぞんかい)

 萱島家は、幕末から続く町絵師の家系で、掛け軸や絵馬など、太宰府市内外に多くの作品を残しているほか、地域の伝統行事なども記録しています。
 萱島家四代5名による作品群とその物語を伝えていきます。

太宰府の絵師 萱島家
 萱島家は鶴栖(かくせい)、秀山(しゅうざん)、秀岳(しゅうがく)・秀峰(しゅうほう)兄弟、秀渓(しゅうけい)と、幕末から平成の現代に至るまで、四代にわたって絵師を輩出してきました。その画風は江戸時代中期頃、呉春(ごしゅん、松村月渓)を祖として発展した四條派(しじょうは)の影響が強い南画(なんが、中国の南宗画に由来する画派)です。また、萱島家は、代々町絵師として活躍するだけではなく、太宰府を中心とした伝統文化を記録・継承していく活動も行ってきました。
 例えば、雨乞(あまご)い行事の一つである「龍上げ」(りょうあげ)、江戸時代の農作業の風景を一年を通して描いた四季農耕図(しきのうこうず)、その他天満宮の祭り等の画稿(絵の下書き)など記録性の高い絵画を数多く残していることが特筆されます。

 萱島家の流れ
 鶴栖―秀山―秀岳・秀峰―秀渓

萱島鶴栖 文政10年(1827)~明治11年(1878)
秋月藩士の子として生まれ、萱島家の養子となりました。秋月藩お抱え絵師として活躍し、後に太宰府に住んだ齋藤秋圃(さいとうしゅうほ)を含む筑前四大画家と称された人々に絵を学びました。また幕末には三条実美をはじめとする五卿や維新志士との交流もあります。

萱島秀山 安政5年(1858)~昭和13年(1938)
鶴栖の長男。石丸仙舟(博多の絵師)・平野五岳(豊後専念寺住職)らに学んだのちに、南宋画会に属して展覧会に出品するなどの活躍をしました。太宰府郵便局長を42年間勤めて、地域の発展にも努めました。

萱島秀岳 明治19年(1886)~昭和14年(1939)
秀山の長男。太宰府郵便局長を勤めながら創作活動を行いますが、早世のため残された作品はわずかです。

萱島秀峰 明治34年(1901)~昭和48年(1973)
秀山の三男。小学生のとき、病により聴覚を失いました。若い時から南画の世界では注目されており、数度の御前揮毫を行いました。
書画に通じ、花鳥図等に優品を残しました。

萱島秀渓 昭和9年(1934)~平成20年(2008)
秀峰の長男。博多松囃子(博多どんたくの源流)大黒流の傘鉾を27年間にわたり描くなどの活躍をしました。

太宰府市内には、萱島家が描いた絵馬が神社に奉納され飾られています。絵馬のマップはこちら