認定太宰府市民遺産

第3号「かつてあった道「四王寺山の太宰府町道」」


育成団体:四王寺山勉強会

 昭和60年代まで、糟屋郡宇美町四王寺村から太宰府小学校・学業院中学校へ子どもたちが通っていた道がありました。調べていくうちに「夏の暑い日」「冬雪が降る寒い日」にここを元気に通っていた子ども達の姿がしのばれ、それを後世に伝えていきたいという思いから発起されたものです。
 四王寺山勉強会は、文化遺産調査ボランティアの方々で四王寺山の調査を行っておられたメンバーが結成。

 この道は、「太宰府町道」という昭和40年代まで太宰府と、となり村の四王寺集落をつないでいた幹線道路で、四王寺集落の子ども達が、太宰府小学校まで通っていた道でした。子どもはもちろん大人たちが太宰府の町に買い物に行く道でもあり、幅3m前後の道を荷物を運ぶ牛も通っていたそうです。
 昭和40年代に四王寺林道完成した後も、一部の道は昭和60年代まで使用されていました。現在でも地図に描かれているこの道は、四王寺林道が完成するまで、経済的にも文化的にも太宰府と四王寺集落を深く結びつけていた大切な道でした。

 四王寺集落を出て焼米ヶ原(やきごめがはら)まで登ると、視界が開け、宰府の町並みが眼下に見えます。そこから毘沙門天王の鳥居をくぐり、太宰府口城門を横に見ながら下っていきました。現在道は森林に囲まれ、道中で市街地を望める場所はほとんどありません。
 当時の四王寺山は樹木が少ない山で、途中に「ヨガン松」という歪んだ形の松があったくらいで、西鉄太宰府駅に到着する電車の姿も見えていました。

 高低差約280m、全長約4kmの山道を通う四王寺村の子どもたちは足が丈夫で元気だったそうで、朝は40~50分程で登校していました。その姿を見た人は次のように記しています。
「崇福寺横の登山口から旧道を通って上がる途中、男女の小学生数人が旧道を下って来るのに出会ったが、これらはこの部落の児童達で、太宰府小学校に通っており、毎日四粁の山坂を上下しているので、とても健康そうな子ども達であった。」
(上村高直『太宰府 いまむかし』昭和47年)

 現在は森の中の山道となっている道も、当時この道を通っていた人たちの話を聞くと、子ども達の元気な登下校風景が蘇ってきます。この道の思い出や風景は四王寺山の日常の歴史のひとつとして、後世に伝えていきたいと考えています。