第2号「八朔(はっさく)の千燈明(せんとうみょう)」


育成団体:五條風の会

八朔の千燈明は、毎年9月1日の夕刻に行われている五条区独自の神事。江戸後期に起きた疫病の際、太宰府天満宮に五條町(現五条区)の人々が疫病除けの祈願をしたところ、病人が減少したという云われを伝える神事です。
この神事を、常に顕彰しつつ子供会を中心に育成していく。
五條風の会は、五条区役員の方々が中心になって発足しました。

五条の八朔の千燈明
五条区では、毎年9月1日に八朔の千燈明といって、太宰府天満宮に献燈をする行事が続けられています。そのはじまりは100年以上前にさかのぼります。
江戸時代、太宰府で流行り病がおこり、五条でもたくさんの人が命を落としました。そこで、困った五条の人々が太宰府天満宮に願立てしたところ、患う人が出なくなったといいます。以来、五条の人々はそのお礼として、八朔(旧暦の8月1日)に千燈明を捧げるようになったと伝えられています。

戦前の八朔
戦前、この行事の中心的担い手は、青年団でした。男性は小学校卒業後から25才まで、青年団に属しました。40名余りが集まって、竹切りからロウソクや縄の購入、設営作業と、八朔の千燈明の準備を行いました。
八朔の千燈明は当時、天満宮のおまつりを除いては、五条の一大行事だったといいます。
やがて戦時中には、天満宮の千燈明と共に八朔の千燈明も一時途絶えてしまいます。

戦後の復興 —五条の人たちの思い—
昭和20年(1945)の終戦後しばらくは、まだ物資が十分に無いため、天満宮の千燈明も五条の八朔の千燈明もできませんでした。また、当時青年団には八朔の千燈明を経験した人がほとんどいませんでした。
そうした中、昭和38年に区の行事として、八朔の千燈明が再び行われるようになります。再興当時は区長と隣組長が中心となって行っていました。戦前に青年団として八朔の千燈明を支えていた人たちです。
その頃の五条区長のおひとりが、当時言っていたことには…
「昔、五条が八朔の千燈明のあっとったっちゃけん、せないかんもんな」
その思いがつながれて、はや半世紀、戦前に青年団だった人たちの子孫が今や自治会長として、現在も八朔の千燈明を守り続けています。
今では地元子ども会も参加し、五条の夏のおわりの風物詩としてにぎわっています。

昭和60年の八朔の千燈明
昭和60年の八朔の千燈明

八朔の千燈明のながれ
①9月1日夕刻、五条公民館に集合し、天満宮まで皆で歩く。
②当直の神官からお祓いを受け、御神燈をいただく。
③いただいた御神燈で一斉にロウソクに火を灯す。(午後8時頃)
④ロウソクが小さくなるまで(約1時間)、火を灯し続け、その後片付けて終了。
平成20年の八朔の千燈明(行事のいわれを説明する自治会長)
平成20年の八朔の千燈明(行事のいわれを説明する自治会長)

燈明のうつり代わり
戦前に青年団で行っていた頃は、天満宮の千燈明と同様に、竹と縄と針金を使って燈明を飾りつけていた。
戦後は竹を切ったりする若い人手が不足したこともあり、規模が縮小する。地面にロウソクを立て、砂で固定する。
最近はペットボトルと板を利用して燈明を工作している。こうすると風よけができて火が消えにくい。