第5号「万葉集つくし歌壇」


育成団体:大宰府万葉会

日本最古の歌集「万葉集」に詠われた大宰府の風土を、今、体感できる太宰府の情景とつなぎながら伝えて行きます。

日本最古の歌集『万葉集』には、約4,500首のうち大宰府を舞台とした歌が200首あまり収められています。
その中には、神亀4年(727)に大宰帥に着任した大伴旅人(おおとものたびと)をはじめ、山上憶良(やまのうえのおくら、筑前守)、紀男人(きのおひと、大弐)、
小野老(おののおゆ)・粟田比登(あわたのひと)(少弐)、沙弥満誓
(しゃみまんせい、造観世音寺別当)、大伴坂上郎女(おおもともさかのうえのいらつめ)ら
が詠んだ優れた歌があります。なお筑紫歌壇(つくしかだん)の名称は、彼らの生活圏にちなんで後世に名付けられたものです。

梅花の宴
天平2年(730)正月十三日、大宰帥大伴旅人は邸宅に大宰府と管内諸国の官人三一人を招き、梅を題材に歌を詠む宴を催しました。この時に詠まれた三二首が万葉集に収められています。

わが苑に梅の花散る
ひさかたの天より雪の流れくるかも
【巻五 八二二 主人】(主人とは、大伴旅人のことです)

「私の庭に梅の花が散っている。それとも天から雪が流れているのであろうか」

梅の花散らくは何処
しかすがにこの城の山に雪は降りつつ
【巻五 八二三 大監伴氏百代(だいげんばんじのももよ)】

「梅の花が散るというのはどこであろう。それはそれとして、この城(大野城)の山には雪が降り続いている」

梅花の宴の再現
毎年開催されている梅花の宴の再現

万葉集に詠われた大宰府の情景

大野山霧立ち渡る
わが嘆く息嘯の風に霧立ちわたる
【巻五 七九九 山上憶良】

「大野山(四王寺山)に霧が立ち渡っている。私の溜息が霧になって立ち渡っている」

大伴旅人は大宰府に赴任して間もなく、最愛の妻を亡くします。この歌は、悲しみに暮れる旅人に向けて山上憶良が詠んだもので、旅人の心情を代弁しています。
当時、霧は溜息から生まれると考えられていました。
歌に詠まれている風景は、雨上がりの大宰府政庁跡に立ち北をのぞむと、出会うことができます。

霧立ち渡る大野山
霧立ち渡る大野山(政庁跡から)

水城で交わされた別れの歌
天平二年(730)冬、大納言(だいなごん)に昇任(しょうにん)した大伴旅人は大宰府を離れることになりました。
水城で旅人を見送る人々の中に、娘子児島の姿もありました。別れを惜しんで児島が二首を詠むと、旅人もまた二首を返します。

娘子児島の詠んだ歌
凡ならばかもかもせむを
恐みと振りたき袖を忍びてあるかも
【巻六 九六五】

「あなたが平凡なお方なら、ああもこうもしましょうに、恐れ多くて振りたい袖を振らずにこらえています」

倭道は雲隠りたり
然れどもわが振る袖を無礼と思ふな
【巻六 九六六】
「大和への道は雲に隠れているけど、私が袖を振るのを失礼だと思わないでください」

大納言大伴旅人卿の詠んだ歌
倭道の吉備の児島を過ぎて行かば
筑紫の児島思ほえむかも
【巻六 九六七】

「大和へ向かう道中に吉備の児島を通ったなら、筑紫の児島が思い出されるだろう」

丈夫と思へるわれや
水茎の水城の上に涙拭はむ
【巻六 九六八】

「立派な男子だと思っていた私が、別れに際し水城の上で涙を拭っていることであろうか」