第9号「苅萱(かるかや)の関跡とかるかや物語」
太宰府市坂本の関屋交差点のあたりには、中世に「苅萱の関」という関所があったといわれています。また、この苅萱の関を舞台とした伝説、苅萱道心と石童丸親子の悲しい物語が全国的にも知られています。
苅萱の関跡と、苅萱道心・石童丸の物語を伝えていきます。
太宰府市坂本の関屋交差点のあたりには、中世に「苅萱の関」という関所があったといわれています。また、この苅萱の関を舞台とした伝説、苅萱道心と石童丸親子の悲しい物語が全国的にも知られています。
苅萱の関跡と、苅萱道心・石童丸の物語を伝えていきます。
萱島家は、幕末から続く町絵師の家系で、掛け軸や絵馬など、太宰府市内外に多くの作品を残しているほか、地域の伝統行事なども記録しています。
萱島家四代5名による作品群とその物語を伝えていきます。
大正10年に全国ではじまった「時」の大切さを知らせる「時の記念日」。多くの地域で忘れられつつある行事が、太宰府では都府楼跡を舞台に、毎年6月10日の時の記念日に今も行われています。
「時」の大切さとともに、行事を引き継いできた先人たちの物語を伝えます。
激動の昭和を生き、木彫家の本流である高村光雲(1852~1934 高村光太郎の父)門下きっての名手として名を馳せた山崎朝雲を師とあおぎ、木彫の名匠として中央芸術界に知られた冨永朝堂。市内にある彼の作品(天満宮延寿王院前「神牛」、太宰府市役所ロビー壁画【監修】、学業院中学校「宮村翁像」「宮村講堂板額」、水城小学校「校歌レリーフ」など)と「吐月叢(アトリエ)」に込められた様々な思いを語ることで、芸術家冨永朝堂の芸術にかけた熱い思いと、彼の感性を磨いた歴史と自然豊かな太宰府の姿を伝えていく。
Read More昭和60年代まで、糟屋郡宇美町四王寺村から太宰府小学校・学業院中学校へ子どもたちが通っていた道がありました。調べていくうちに「夏の暑い日」「冬雪が降る寒い日」にここを元気に通っていた子ども達の姿がしのばれ、それを後世に伝えていきたいという思いから発起されたものです。
Read More八朔の千燈明は、毎年9月1日の夕刻に行われている五条区独自の神事。江戸後期に起きた疫病の際、太宰府天満宮に五條町(現五条区)の人々が疫病除けの祈願をしたところ、病人が減少したという云われを伝える神事です。
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