六弁の梅が開花しました!
しめ縄が新調され、新年を迎えた「隈麿公のお墓」(太宰府市民遺産第7号)。
隈麿は、菅原道真が大宰府へ下向した際に連れてきた幼い息子で、食べるものもままならない苦しい生活の末、大宰府に来た翌年、病のために亡くなってしまいました。
愛する我が子を失った悲しみを、道真は漢詩「秋夜」に詠んでいます。
隈麿の墓は、道真たちが暮らした南館があった榎社から200m東の小高い丘にあり、地元の榎区の住民によって世話が続けられています。
そんな隈麿墓の傍らにある梅の木が、早くも花を咲かせています。
この梅の木は、昔から隈麿墓の横に植えられており、通常は五弁が多い梅の花のなか、六弁の花をつけることから「六弁の梅」と呼ばれています。
(なお、この木につくすべての花が六弁なのではなく、五弁の花のなかにチラホラと六弁のものが見られます。)
太宰府天満宮の飛梅がどこよりも早く咲くと言われていますが、この六弁の梅がさらに早く花を咲かせます。
近くに案内板がないため、よく、場所がわかりにくいと言われていましたが、この度、地元自治会によって入り口に看板が付けられました。
満開まではもうしばらくかかりますが、ぜひ、六弁の梅の花を見に、現地をお訪ねください(^ ^)